2014/6/26
毎年、キャンセル待ちが出るほどの人気の「Port of Los Angelesツアー」。まずはサンペドロにあるLos Angeles Maritime Museumにて、JBAからの1000ドルの寄付を春山サウスベイ部会長がMarifrances Trivelli館長に手渡した。
続いて、同館の2階でロサンゼルス港湾局の森本さんより、LA港、港湾局、および同地と日系人の関わりについて講演が行われた。LA港はロングビーチ港と合わせると、いまや全米の輸入の43%を取り扱う、まさに全米の経済活動の主軸となる港。
「その港の中のターミナルアイランドでは日米開戦まで、およそ3000人に上る日本人、日系人が暮らし、缶づめ工場で働いていたことをご存知ですか」と森本さんは参加者に語りかけた。彼らは、ルーズベルト大統領による大統領令9066号により、たった48時間の猶予の後、ほとんどの財産を後に残し、マンザナール強制収容所に移送された。戦後の彼らの努力と献身は計り知れないものがある。「私たちがここで仕事ができる礎を作ってくれたのは、日系人の皆さんです」と森本さん。
講演はLA港内の役割、LA港内で事業活動を行う日本の会社や、日米間の貿易、そして日米の港湾比較にも及んだ。参加者からも次々と質問が飛び出し、1時間の講演は瞬く間に終了した。
参加者はしばらく同館内の展示を見学した後、遊覧船に乗り込み、いよいよ約90分の港湾内見学へと出発した。降り注ぐ日差しの下、ゆったりと港湾内を進む船では森本さんによる詳細な解説が続いた。港湾内の警察は、ロサンゼルス市ではなく独自の組織であること、絶滅の恐れがあるとして保護されているカリフォルニアブラウンペリカンなどは、港湾の環境対策によって格段に数を増やしつつあることなど。普段なら見過ごしてしまうようなものも、背景や名前の解説によって理解が深まったのではないだろうか。
また、大型のクレーンがコンテナを運ぶ様子を見ながら、クレーンの技術者らの高額な給料に森本さんが言及すると、参加者からは嘆息が漏れる場面も。このほか、1932年にロサンゼルスオリンピックで日本選手団が到着したターミナルや、沿岸警備隊の宿舎など普段はなかなか見る機会のない建築物や、繋留され公開中の戦艦アイオワを海から眺める貴重な機会となった。