JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

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荒木 逸治さん

JFE商事 株式会社
常務執行役員、米州事業本部長
荒木逸治さん

1955年長崎県諫早市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、79年に日本鋼管(現・JFEスチール)に入社し、福山製鉄所に勤務。86年、本社に異動し営業を担当。2004〜08年、フィリピンにマニラ事務所長として駐在。10年、米国JFE商事社長就任。16年、米州事業本部長に。

明るい笑顔で柔軟に 北米での事業を拡大

仕事で海外に出て
見つけた共通点

荒木さん

手にしているのは、日本からの鋼材で作られた製品


大学では専門の法学の傍らで、ライフワークとしてシルクロードの言葉を全部勉強しようと、アラビア語から始めてペルシャ語、中国語、韓国語と学びましたが、実際に海外に出たのは会社に入って以後でした。そもそもシルクロードに興味を持ったのは、九州で育って朝鮮半島や中国が近くにあったから。その意味では海外は常に身近ではあったんでしょうね。

1979年に日本鋼管(現・JFEスチール)に入社し、最初の配属は広島の福山製鉄所でした。7年間、工場で生産管理や人事を担当する中で、弊社の製品をどういう人たちがどんな思いで作っているのか、つぶさに見られたことは、その後、日本国内また海外などさまざまな場所で、自社の製品に誇りと自信を持って商売や交渉ができるベースになりました。

1986年には本社に異動して鋼管輸出営業を担当。イラクのバグダッドやカタールなど、いろいろな場所に出張に行かせてもらいました。その後、2004年から08年にはフィリピンのマニラに事務所長として赴任。よく「海外で仕事の仕方の違いはありますか?」と聞かれることがあるのですが、僕は国が違っても、人種が違っても、同じ人間だからと割り切って考えれば違いはないと思うのです。壁を持たなければ相手も分かってくれます。

趣味のダイビングも、フィリピン駐在時代に始めました。それまではゴルフばかりでしたが、スコアが90を切ったら別のことも始めたいなと思って。ダイビングは遊びではあるけれど、手順を踏んできっちり操作をしないと自分の命、あるいは他の人の命に関わります。製鉄所でも同じですが、事故が起こる原因は、普段通りでない異常なことをするからなのです。パニックになっても急浮上したりせず、普段通りのことをすれば、どうってことなく収まるんですよね。 安全管理や危機管理の訓練にすごく向いています。

 

変化をおそれず
北米での事業を拡大

2010年には、米国JFE商事社長として渡米。着任当初、米国JFE商事が手掛けていた鋼材は年間約25万トンでしたが、その後、事業拡大を進め、現在は約100万トンにまで成長しています。それまでJFEグループはアジア圏で事業を拡大してきたのですが、今後の成長性や経済の安定性を考えると北米は看過できません。12年からはカナダでの事業を始め、さらに13年からはメキシコにも駐在事務所を置き、現地のパートナーとのジョイントベンチャーによる事業を進めています。

カナダでの事業はエージェントと組んで行うビジネスで、それまで弊社にはなかったもの。最初は反対意見もありましたが、「ともかく、やってみようよ」と。上に立つ人間が変えようという提案を素直に受け止めて、変えることに対して躊躇しない気持ちを常に持っておかないと新しいことはできないと思うんです。あと、上に立つ人間は明るい笑顔でいることが大事。上司が暗い顔だと、部下は心配になるでしょう? 仕事は人生の3分の1の時間を過ごす場所。楽しく仕事ができたら、余暇だって楽しくなりますよね。その環境を作るのが上に立つ人間の仕事だし、それがチームの原動力になると思うのです。

今年で丸7年アメリカに駐在と随分長くなりましたので、いつ帰任になってもおかしくないわけですが、駐在中にできる限り、自分の経験してきたことなどを若いスタッフに伝え、強い会社にしていけたらと思っています。地の利を活かして、カンクンやハワイでのダイビングもしたいですね!

荒木 逸治さん

左はカンクンでダイビング中の荒木さん、右は石垣島でのダイビング中に遭遇したマンタ

=Company Info=
JFE商事 株式会社◎1954年創業。主要事業は、鉄鋼製品、鉄鋼原料、資機材、不動産等の日本国内の取引、輸出入、日本国外の外国間の取引。同社の米州事業には、JFE Shoji Trade America Inc.、Kelly Pipe Co., LLC、Vest Inc.、JFE Shoji Steel America Inc.の4社がある。

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