JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

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須山 健さん

ShinMaywa(California), Ltd.
President
須山 健さん

1963年中国生まれ。83年、日本に留学し、87年京都大学工学部卒業、89年同大工学研究科精密工学科修士課程修了。ソフトウェア開発会社勤務後、91年新明和工業に転職。産業機械事業部、航空機事業部を経て、2012年より現職として米国赴任。

社員全員が、仕事を楽しみ 取り組む会社を目指して

一人のエンジニアとして
自分にしかできない仕事を

中国の大学在学中に日本への国費留学生の募集があり、1983年に留学しました。応募までは日本について何も知らず、全く日本語もできませんでしたが、その時から新しいものに対する好奇心が強く、怖いもの知らずな性格だったんですね(笑)。

日本で博士号を取得したら中国の大学で教鞭をとるつもりでしたが、博士進学試験に合格し安心して里帰りし、戻って来たら進学手続き期間が過ぎていたのです。進学できなくなり、ビザの問題で1週間しか滞在猶予がなく、帰るか残るか悩みましたが、急いで就職先を探し日本で就職。そして当時の彼女、今の妻に結婚を申し込みました。義父からは猛反対されましたが、周りの協力もあって一度会ってもらえることに。許可とまではいきませんでしたが、妻を海外に連れ出さない約束で反対だけは免れました。その年はちょうど天安門事件の年でした。

最初はソフトウェア開発の会社に勤めましたが、実際に「物」を動かしたい気持ちが強くなり、91年に新明和工業に転職。配属は産業機械事業部の産業用ロボットの設計・開発でした。しばらくして他部署が中国に進出を始め、中国について教えてくれと頼まれ、研修会や通訳をすることも増加。時間のやりくりが難しく、本業との板挟みになっている時に、上司が「須山くんはエンジニアであって、通訳じゃない」と言ってくれたのです。それを聞いて、「両方とも中途半端じゃダメだ。通訳なら専門の人がいるのだから、自分にしかできないことをしよう」と思いました。その時から中国との関わりを表立って話すのは止め、一人のエンジニアとして仕事に打ち込み始めたのです。

 

経営者として
航空機先進国・米国へ赴任

97年に航空機事業部電装Gへ転籍。当時は海上自衛隊のUS-1A型救難飛行艇のアナログフライト・コンピュータシステムからデジタルフライト・コンピュータシステムへの換装や、US-1A改(US-2)の設計・開発があって忙しく、実に面白い時期でした。電装GからシミュレーターG、艤装班とあちこちの部署を回りました。新しい部署に行くとトラブルを理解し解決して、次の部署へ…その連続でした。トラブルはどこでも解決法は同じで、まずは事実関係を調べる。何があった、どうあるべきか、今どうなっているか、それが明白になれば仕事の8割は終わり。自ずと解決法は見えてくるんですよね。

2005年には航空機事業部の資材部へ異動となり、10年からは調達グループの責任者に。そして、12年、ShinMaywa (California), Ltd.にPresidentとして赴任しました。それまではいちエンジニアとして仕事をエンジョイしてきたのですが、今度は経営者として、航空機産業の先進国であるアメリカへの赴任です。自分の中の好奇心、怖いもの知らずが快哉を上げていました。

当社は、新明和の航空機事業部の北米拠点として、求められる品質と納期を満たす資材をいかに安く調達するかを使命としています。実は赴任当初は、私はトラブルの事後処理が多かった。でも 本当は社員全員が、飛行機をよく理解し、トラブルを解決する力を身に付けているのがベストですよね。それに社員が自ら仕事を楽しんでスキルを磨けば、それが次の仕事に、会社の利益につながっていく。その意識が今会社全体に広がってきていますが、限られた駐在期間中にさらに強い組織を作り、好循環を回していけたらと思います。

須山 健さん

ドジャースタジアムで家族で野球観戦。「これまでやってこれたのは妻、娘、息子のおかげです」と須山さん

=Company Info=

ShinMaywa (California), Ltd.◎1997年設立。新明和工業の航空機事業部の北米海外拠点。米国や欧州の民間航空機製造用資材の調達に関する最新情報の調査・入手、コストを抑えた資材調達により日本の航空機産業に貢献。

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