JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

サイト内検索

Dan Horiba

HORIBA Instruments Inc.
President
堀場 弾さん

1980年生まれ。2004年に京都産業大学卒業後、堀場製作所入社。08年にHORIBA Instruments Inc.ミシガン州アナーバーオフィス出向。12年にアーバインオフィスに異動。14年、University of California, Irvine Executive MBA修了。同年より現職就任。

おもしろおかしく 日々新しいチャレンジを

ベストを尽くした時間が自信になる

HORIBAで働こうと決めたのは、就職活動を始めた大学後半でした。家では会社を継ぐように言われてきたわけではなかったので、他の道も考えましたが、自分が最も高いモチベーションで仕事に取り組める場所はどこだろうと考えた時に、やはりHORIBAで働きたいと思ったのです。

入社後は住み慣れた京都を離れて、東京支社の営業部の配属に。創業者の孫、社長の息子だというので周りはもちろん大きな期待をしますよね。でも社会人1年目で分からないことも多く、期待に応えられないプレッシャーや、初めての一人暮らしの心細さもあり、難しい日々を過ごしました。その東京勤務の2年間は、祖父や父がよく言っていた「常にベストを尽くしなさい」という言葉を強く実感する時間でした。自分がその時にできる限りのベストを尽くしていると、周りもその姿を見て助けてくれますし、また全力を出せる自分に対する自信も出てくるんですよね。その後のチャレンジを乗り切れたのも、東京での2年間を乗り越えられたからこそできた自信に支えられたことが大きいと思います。

2012年にMBAコースに通い始めた時もその言葉を信念にしていました。当時は渡米して4年が経った頃で、自分の経営に対する知識や、英語で議論を交わし物事を決めていくプロセスでの力不足を補いたいと、仕事と並行して学び始めたのですが、学校の同級生はほとんどが30代後半から50代のマネージャー以上の役職の経験豊富な人ばかり。僕は英語も足りない部分があり、正直最初は何度もくじけそうになりました。でも、そのうちに準備をしっかりすれば英語が劣っていてもアメリカ人と対等に向き合えると分かり、それからはこっちのもの(笑)。それに最後まで諦めずに続けられたのは、クラスメートや家族、上司、同僚など周りが支えてくれたからなんですよね。

HORIBAらしさを保ちつつチャレンジを継続

アメリカに08年に最初に来た時は、ミシガン州にある自動車事業のアナーバーオフィスにオペレーションアナリストとして出向したのですが、その時も上司に家族のように付き合ってもらい、また妻にも大いに支えてもらいました。アメリカの厳しい経営の良さもありますし、なれ合いにはならないように気を付けていますが、HORIBAの社是は「おもしろおかしく(Joy and Fun)」。7月に他界した祖父が35年前に付けた社是なのですが、これをグループ全体でシェアできるような社風でありたいのです。

一方でビジネスを伸ばすことも大切な目標です。アメリカではHORIBAはまだまだこれからだと思っているので、当社が展開している5つの事業の各マーケットで、もっと多くの方にHORIBAを知ってもらい、製品やサービスの良さを感じてほしいと考えています。当社の製品は排ガスや自動車の試験機器や医療、半導体、理科学分野の分析機器など、表に出ない製品が大半です。しかし一般に見えづらくとも、品質や性能など、定量的に物を計ることは物を作るのに不可欠なことであり、そこから改善や成長が始まっていくと思うのです。

当社も今、色々な困難に直面しています。でもそんな時こそJoy and Funを忘れちゃならないんですよね。どんなにしんどい時も、おもしろおかしくの精神を持ち、日々新しいチャレンジを続けながら、自分も会社も一歩一歩成長させていけたらと思っています。

=Company Info=

HORIBA Instruments Inc.◎世界各国で自動車研究開発、環境とプロセスの計測、血液検査、半導体製造・測定をはじめ、科学研究開発や品質測定等の分野で機器やシステムを提供するHORIBAグループの米国本社。

喜びを共有するのもHORIBAらしさ。自動車事業の事業人員200人到達、製造エリア拡大の際は全社で祝った

喜びを共有するのもHORIBAらしさ。自動車事業の事業人員200人到達、製造エリア拡大の際は全社で祝った。

私のLAライフ一覧へ

PAGETOP