1959年東京生まれ。中学まで日米で暮らし、高校以降は米国在住。University of California, Irvine卒。University of California, San Francisco Dental School卒DDS。他院勤務を経て、92年、馬場歯科医院を開院。2001年、Fellow of the Academy of General Dentistry取得。
私は少年期、父の仕事で日本とアメリカを行ったり来たりしていました。何度も言葉や文化の壁にぶち当たり、日米どちらにいても違和感がありました。しかしそのおかげで、多様な考え方や生き方が “当たり前”となり、それを抵抗なく受け入れる姿勢が身に付きました。高校に上がった1974年以降ずっとアメリカに住んでいますが、多感な少年期を日本で過ごした私は、今でも自分を「在米生活が長い日本人」だと思っています。
大学では生物学と心理学を専攻し、BSとBAを取得。卒業後、普通に就職することもできましたが、生物学を専攻していたことで歯科大学への進学も進路の一つにありました。アメリカ人ではなく、かと言って日本人としても中途半端な自分がアメリカで暮らしていくには何か特殊な技能を習得することが必要だと思ったことが、歯科医の道に進んだ大きな理由です。
しかし現実は、新卒の歯科医を受け入れてくれる医院なんてありませんでした。私は新聞広告に片っ端から連絡しました。運良くコンプトンにある医院に受かりましたが、窓には防犯用の鉄格子があり駐車場にはセキュリティーが常駐している、治安が悪いことで知られている黒人街のオフィスでした。もちろん患者さんは黒人ばかり。私が知る白人文化とは全く違いました。低所得層が多いため、できる治療も限られていました。また、患者さんは恐怖心を抱くと来院しなくなるため、その医院では来ている間に極力たくさんの治療をするんです。しかもすごいスピードで。限られた環境でいかに治療の効果を出すかが勝負みたいな医院でした。そこで働いた2年間、本当に鍛えられました。
その後、同じオーナーが経営する別の医院に「マネージング・デンティスト」として異動。今度は中間所得層が多い白人の世界でした。そこでさらに2年間働いた頃、オーナーからそのオフィスを買い取ってほしいと言われました。しかし私は、「自分はもう十分な経験を積んだし、もっと質のいいサービスを提供したい。そして日本語を使って患者と接したい」と考えていたのでそのオファーを断り、92年に馬場歯科医院をニューポートビーチに開きました。
独立後はビジネスを軌道に乗せることが重要ですから、患者さんによっては保険の問題で提供できるサービスに制限がかかることがあります。しかし、できる範囲で最大限の治療をして人の役に立ちたいという私の信念はずっと変わりません。患者さんは、来院するのは嫌なはずなのにとても感謝してくださり、うれしい言葉をたくさん私にかけてくださいます。皆さんの助けになったと実感することが、この仕事の一番のやりがいです。
休日はほとんど歯科関連の勉強をしています。プロですから常に勉強することは責務です。それ以外では…、映画を観たり、趣味のクラシックギターを弾いたりでしょうか。私は、人はみんなつながっていると信じています。戦争がなくならないこの世に生きていても、ジョンレノンの曲『Imagine』の哲学に共感していますし、「国境のない世界」は私の理想です。私は、患者さんともアメリカ社会とも日系社会ともつながっています。そんな思いを胸に、今後も人の役に立っていきたいと思っています。
=Company Info=
馬場歯科医院◎1992年ニューポートビーチに開院。一般歯科や審美歯科をはじめ、小児歯科、インプラント、予防サービスを提供。日ごろ役立つ歯の情報を毎月『馬場歯科便り』で配信し、KenichiBabaDDS.comにも掲載。