JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

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World Logistics Service (U.S.A.), Inc.
代表取締役社長
林 茂さん

1968年神奈川県生まれ。91年に神奈川大学経済学部卒業後、日産専用船株式会社に入社。98〜2003年、World Logistics Service (U.S.A.), Inc.に駐在。帰国後、北米担当、企画部門を経て、15年より現職として再び米国駐在。趣味のゴルフの平均スコアは85。

会社がどこへ向かうのか 舵取り役としての米国駐在

日産車専門から多様な物を扱う仕事に

林 茂さん
海運会社なら海外にあちこち行けそうだと思い、1991年、日産専用船株式会社に入社。最初の仕事は営業でした。当時の日産専用船は日産自動車の海上輸送部門的な役割で、一般的な営業職というより、毎月の出荷計画に合わせて船を用意して、積み込む車を割り当てるのが主な仕事。インターネットがない時代で、船や海外の代理店との通信手段はテレックス。英語の上に業界用語も出てきて、しかも略語だらけ。最初は読み解くのに苦労しました(笑)。

その後、管理部門を経て、96年に日産専用船子会社のWorld Logistics Service (U.S.A.), Inc.(WLS)の、日本での受け手側にあたるグループ会社に出向に。WLSは、日本から米国に日産車を運んできた船をカラで返すのでなく、そのスペースに入る物を一般のお客様から集荷して運ぶサービスを提供する目的で立ち上がった会社で、そこで扱う物はアメ車やトレーラーハウスなどとさまざまです。こういうものを扱う商売もあるのかと驚くことも多く、面白かったですね。

98年、出向先からWLSに米国駐在に。日本でもまだマネージメントの経験がほとんどない29歳でしたから、急に部下もでき、自分の仕事以外のことも増えて、もう無我夢中でした。努めたのはまず自分がしっかりと仕事をしている姿を見せて、信頼関係を築くこと。また一方的ではない双方向のコミュニケーションも大事にしていました。

ちょうどその頃に、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンと東京ディズニーシーという2つのテーマパークが日本に開園しましたが、そこのライドや展示物を弊社の船で運ばせてもらったのは、興味深い仕事の一つでした。そうした幅広い仕事と共に、当時は北米日産の本社もロサンゼルスにあって日産関連の付き合いもあり、さまざまな方と知り合えて、本当に楽しい駐在でした。

 

新たな環境で新たなチャレンジを

2003年に日本に帰国。日産専用船の本社で北米担当になり、日産車の日本から米国への輸送、米国発の輸送を担当。07年には、メキシコからヨーロッパへの輸出プロジェクトも大々的に始まることになり、船社側としてそれにも携わりました。かつては日本が中心的な生産拠点だった日産車ですが、日産自動車の海外拠点への進出が加速し、今や相当数がメキシコから輸送されています。この20年ほどで自動車の動き方は、すごく多様化してきているのです。

09年には企画部門へと異動。その頃、資本が変わり、日産専用船は商船三井グループになりました。グループが変わる中で、日産専用船としてやるべきミッションを立て、将来的にどういう方向性でやっていくのかを管理するのが企画での私の仕事であり、15年にはその体制作りの実行者として再びWLSに米国駐在となりました。

また、その前年の14年には、北米日産の本社があるテネシーからの日産車の輸送増加に伴い、WLSもテネシーに事務所を開設。対日産とのビジネスは、テネシーやメキシコに比重が移っていく中では、その2拠点を拡大することも必要でしょうし、またロサンゼルスではWLSの一般のお客様もいますのでそれもやっていきたい。さらには商船三井グループが扱っている中国向けサービスの利用にて商売拡大の可能性もあるかもしれません。会社が今後、どんな方向に進んでいくのかの舵取りを任されており、今、非常にやりがいを感じています。

World Logistics Service (U.S.A.), Inc.◎日産専用船株式会社の100%子会社として1990年に設立。主な業務は、日産車海上輸送関連ビジネス、北米日産業務請負ビジネス、一般貨物集荷・輸送ビジネス。

World Logistics Service

日産車、そして一般貨物を海上輸送するWorld Logistics Service (U.S.A.), Inc.の輸送船。

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