JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

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角南 雅章さん

Yakult U.S.A. Inc.
Vice President of Sales & Marketing
角南雅章さん

1968年岡山県生まれ。関西学院大学在学中に1年間ボストンに留学。92年、株式会社ヤクルト本社入社。96年、メキシコヤクルト赴任。2002年、本社国際部に帰任し、LA等のヒスパニック市場、米系市場開拓に携わる。08年、アメリカヤクルトに赴任。

ヤクルトの 米国展開に奮闘中

転機となった96年のメキシコ赴任

1992年にヤクルト本社に入社し、4年間は中四国地方でヤクルトレディと一緒になって宅配業務に従事しました。その間、東京にいたカミさんとは遠距離恋愛でしたが、96年、メキシコ赴任という内示が出た日のうちにプロポーズ、翌月には結婚式を挙げ、メキシコについて来てくれました。
赴任前はサボテンのイメージくらいしかなかったメキシコですが、実際に住んでみると、メキシコ人は明るく、親日家が多いので仕事はしやすかったです。しかし、いかんせん危険でした。空き巣が1回、強盗が2回。夜、地方の営業所で仕事をしていて気が付いたら、ピストルを突きつけられていたんです。お金は盗られましたけど、自動車免許証とクレジットカードが入った財布は置いていってくれたのは不幸中の幸いでした。

1年間、首都のメキシコシティで仕事をした後、日本人は一人も住んでない地方都市に赴任に。カミさんは最初は「メキシコシティから出たくない」と言っていたのですが、1年半後に本部に異動になった時には、「メキシコシティに戻りたくない」と言うほど気に入ったようでした(笑)。結局、6年半に10以上の地方営業所を開設しました。メキシコのヤクルトレディさんは、ヤクルトの収入だけで一家を支えている方も多かったので、働く意欲のある方が非常に多かったのが印象的です。

2002年に日本の本社国際部に帰任し、05年からは出張ベースでLAのヒスパニック市場、06年からはアリゾナのヒスパニック市場の立ち上げ支援に関わりました。出張とはいえ、3年間は年間150~170日近く滞米していたでしょうか。その間、カミさんがフルタイムで仕事をしながら家のことも子育ても全部やってくれましたから、大変だったと思います。感謝してもしきれません。

人種や文化、国を越えて飲まれるヤクルトの魅力

07年には米系市場で本格的に販売を開始し、08年に僕自身もLAに赴任。メキシコではヤクルトレディによる宅配販売が中心ですが、米国ではスーパーでの販売が中心です。米国の方々にヤクルトのことを正しく知っていただくために、ほぼ毎週末デモンストレーションやサンプリングイベントに出ていました。おかげさまで今、ヤクルトは西海岸ではほとんどの米系スーパーで取り扱ってもらっています。実際に飲んでお腹の調子が良くなったのを体感し、継続して購入してくださる方が増えていると思うのですが、ヤクルトの基本的な処方は世界でほぼ一緒であり、その同じヤクルトが人種や文化、国を越えて、世界33の国と地域で毎日3000万人以上の人に愛飲されているという事実には、手前味噌になりますがヤクルトの商品力ってすごいなと改めて思います。メキシコでも本当に多くの方々に愛されていましたしね。しかし、米国ではまだ西海岸がメインですから、今後は全米の人にヤクルトを飲んでいただくのが仕事面での目標ですね。

一方で、赴任したての08年はそうしたイベントに週末を費やしていたこともあり、LA生活を満喫する余裕もあまりなかったのです。でも、このまま何もしないで帰国してしまってどうなのかと、10年にLAマラソンに初出場し、なんとか完走。それからは毎年出場しています。ここまで連続出場してきたら帰任するまで止められません(笑)。家族も毎年、JBAのボランティア給水所でヤクルトを配って手伝ってくれていますしね。16年こそ、LAマラソンでは未達成の4時間切りを目指そうと思っています。

96年からのメキシコ駐在時代の1枚(前列右端が角南さん)。メキシコでもヤクルトレディが活躍している。

96年からのメキシコ駐在時代の1枚(前列右端が角南さん)。メキシコでもヤクルトレディが活躍している。

=Company Info=

Yakult U.S.A. Inc.◎乳酸菌飲料「ヤクルト」を製造・販売するヤクルト本社のアメリカ拠点として、1990年に設立。14年にファウンテンバレーに新工場を設立し、現在1日最大40万本を製造している。

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