JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

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笹山 剛史さん

Plan・Do・See America
Managing Director
笹山剛史さん

1978年兵庫県生まれ。大阪経済大学卒業後、2001年より Plan・Do・See勤務。07年、同社の米国初のレストラン立ち上げのため渡米し、10年までニューヨーク勤務。人事部長などを務めた後、15年末に米国企業との合弁会社のManaging Directorとして再渡米。

アメリカでも地域に愛される「おもてなし」を。

経験を経て学んだ
土地に合わせたレストランづくり

笹山剛史さん
大学までサッカーひと筋で、ほかにやりたいことがないまま就職活動を開始したところ、会社紹介のパンフレットが格好良かったPlan・Do・Seeが目に留まったんです。それでここ一社だけ受けていたのですが、3次面接で不採用に! どうしよう…こんな会社は他にはないし…と思って、不採用通知を受けた翌日に電話をしてその日からアルバイトをさせてもらうことにしたのです。京都のレストランのオープニングを手伝ったりと1年ほどアルバイトをし、大学卒業を目前にした頃、たまたま社長と話す機会がありいきさつを話したところ、面白がってもらい社員として入社することになったのです。

イケイケのベンチャー企業で人不足でしたから、入社と同時に神戸北野のレストランの立ち上げマネージャーに。右往左往しつつ無事にオープンしたものの、店が流行らず同期が新たにマネージャーに就任。東京に移動させてもらったのですが、翌年の社内査定でも評価は低いまま…。これではダメだと、徳島でのレストラン立ち上げに手を挙げて行かせてもらいました。なかなか本社の人間が来ない田舎だったので、そこで全て自分で考え、学ぶ機会を持て、ようやく一人前に成長できた感じでしたね。

その後、神戸のレストランでマネージャーに。そこで売上を飛躍的に向上できたのですが、それは東京や徳島で経験を積んで初めてできたこと。土地ごとに文化も人も、好きな物や価格に対する感覚も違います。メニューも値段も土地に合った理由付けがないとダメだと経験で学んだのです。

 

地域に愛される
Plan・Do・Seeならではのおもてなし

レストラン事業全体を統括する職を経て、2007年、ニューヨークに当社初の海外レストランを出すことに。オフィスを探すところから始め、ようやく軌道に乗って黒字が見えた3年後に帰国しました。でも最初は失敗続き。自信を持って出した料理を「こんなものは食べられない」と突き返されたことも。コンセプトもメニューも試行錯誤しながら随分変えました。レストランは地域で愛されないと始まらない。地域のお客様に喜んでもらえるように料理やサービスをカスタマイズして磨いていくことがすごく大事だと思っています。

再び渡米したのは15年。アメリカの会社とジョイントベンチャーを組み、シェアオフィスとレストランを立ち上げ運営することになったのです。ニューヨークでは責任者は日本人でなくちゃ日本の良いところが伝わらないと思っていたのですが、結果、ビジネスが育つのに時間がかかってしまった。それで今回は非常に規模も大きいですし、これまでのやり方は通用しないだろうと思い、またアメリカという土地でやっていくのだからと、責任者も人事も全てアメリカ人を採用しアメリカ式でやろうと決めました。

アメリカにはアメリカの考え方があり、日本で成功しているからといってそのまま持ってきても通用しません。でも一方でほかのアメリカのレストランと同じことをやっても仕方がありません。元CBSという歴史やストーリーのある特別な場所で、僕らならではのおもてなしを提供したい。日本のおもてなしというより、Plan・Do・Seeにしかできない、地域の人に愛されるユニークなおもてなしですね。そして、やがてはアメリカでもホスピタリティーと言えばPlan・Do・Seeの名前がまず挙がるようになればいいなと思っています。

Plan・Do・See America◎世界各国にリゾート事業、レストラン、ウェディング事業を展開し、日本のおもてなしを世界中に届けるホスピタリティー企業Plan・Do・Seeの米国子会社。米国ではLA、NY、マイアミに店舗を展開。

笹山剛史さん

ハリウッドの元CBSの建物をリノベーションし、レストラン「Paley.」とシェアオフィスを運営している。

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