JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

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羽鳥 琢 さん

Yaegaki Corporation of USA
Assistant Sales Manager
羽鳥 琢さん

1988年、神奈川県藤沢市生まれ。6歳から15歳にかけて米国在住。京都大学教育学部卒業後、教育系出版社で英語教材の編集を手掛ける。2015年、ヤヱガキ酒造に入社し海外営業に従事した後、17年よりYaegaki Corporation of USAにて全米営業を担当。

アメリカ全50州でヤヱガキの酒が飲めるよう

英語教育を変えたい!と英語教材編集へ

羽鳥 琢さん
親は湘南でサーフショップを経営していたのですが、僕が子どもの頃に店を畳んでまず父が渡米。その後1994年に母、兄、祖母と共にサンフランシスコ郊外に移住しました。当初は1年のつもりでしたが、結局10年間の滞米に。その間も日本語補習校や塾に行っていたので大丈夫だろうと思っていたのですが、日本に帰国した時は文化的なものや学校の習慣の違いなどカルチャーショックがさまざまありました。とりわけ日本の英語教育については、文法と読解中心である点など疑問に思うところがあり、その教育をどうにかしたいと高校2年生頃から教師を志すようになったのです。

そして大学は教育学部に進学。ところが、学んでいく中で教師として教育の現場に立つより、教材という媒体を通してさらに広範に英語教育に働きかけたいと思うように。大学卒業後は教育系出版社に就職して、英語教材の編集に携わりました。担当したのは主に高校生向けのリスニング教材。大学教授と共に、時事ネタなどさまざまなテーマを盛り込みつつ、高校生にも分かりやすい教材を作るのは思ったよりも大変でしたが、クリエイティブな側面もあり面白かったです。

ただ痛感したのは「言語は生き物」だということ。教材では辞書に記載されている発音記号通りに発音しなくてはなりませんが、実際に話されている言語ではアクセントや発音が違っていることも。生身の英語の中で育った分、そのねじれをもどかしく感じる場面もありました。

そうした日本の会社員生活を送るうちに、アメリカはもっと英語も生活も自由だったなとアメリカへの懐かしさが芽生えるように。そこでアメリカで働ける会社に転職したいと探し始めたところ、ヤヱガキ酒造が人材を募集していたのです。もともと日本酒が大好きでしたし、せっかくアメリカに行くなら日本文化を発信したいと思っていたので、願ってもない仕事でした。

 

業種も職種も違う場所でゼロからのスタート

15年にヤヱガキ酒造に入社し、それまで住んでいた東京から姫路へと転居。業種も職種も違えば、姫路に住むのも初めてという本当にゼロからのスタートでしたから、新卒で入社したくらいの気持ちでとにかく勉強して吸収しようと努めました。唯一活かせたのは英語と、日本酒好きの気持ちだけ(笑)。その頃から出張で、年間半年くらいはアメリカ各都市に営業に来ていました。

17年に渡米し、Yaegaki Corporation of USAで本格的に全米営業を開始。また同年には弊社の社長も交代し、18年から米国の営業もさらに強化する方針に。今、個人的に目標にしているのは全50州で当社の日本酒が飲めるようにすること。もちろん日本食レストランが数多くある場所でももっと飲んでいただきたいですが、日本酒は日本食のみならず、いろいろな食事と合うお酒です。今やワインをピザでも日本食でも何にでも合わせますが、かつてはそうではありませんでしたよね? 日本酒にもワイン同様のポテンシャルがありますし、飲み方次第でさまざまな奥深さも引き出せます。特に、酸味が効いていて切れのある後味の当社の日本酒は、より食事と合わせやすく、全米に広がる可能性を感じています。

せっかくなら教育学部で学んだことを活かして(笑)、日本酒の良さを伝える教育活動にも力を入れていきたいですね!

Yaegaki Corporation of USA◎兵庫県姫路市に本社を置く1666年(寛文6年)創業のヤヱガキ酒造株式会社の米国子会社。米国には1987年から進出しており、96年には会社および工場を設立し、LAで醸造も行っている。

羽鳥 琢さん
趣味はボクシングクラスにハイキング、ボードゲーム会。「その最中は『無』になれるのが良いんです」。

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