JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

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中山 裕子さん

DMG MORI U.S.A., INC.
ロサンゼルスオフィス副所長/QCD Manager West Region担当
中山裕子さん

1970年山口県生まれ。高校1年生の時に1年間バージニア州に留学。成城大学卒業後、人材派遣会社、主婦業を経て、2004年、森精機製作所入社。2008年からMORI SEIKI USA.シカゴ本社勤務。12年、DMG MORI伊賀事業所勤務に。13年にLAに赴任し、現職。

挫折を次の成功へつなぎ 女性が輝ける場を創出

専業主婦業を経て
海外単身赴任へ

森精機製作所に入社したのは2004年。大学卒業後に勤務した人材派遣会社を結婚を機に退職し、専業主婦4年目でした。主婦生活も楽しかったのですが、働きたい、社会に貢献したいと思い始めていて、その時、千葉に新たな工場を作った森精機製作所が、英語が使える人間を募集していたのです。入社後は千葉事務所で海外からのお客様のアテンド業務を担当しました。

入社前から海外で仕事をしたいと思っていたところ、2008年に念願叶ってシカゴに駐在になりグローバルアカウントを担当。東京で仕事をしていた夫を置いての単身赴任でした。その頃のシカゴは小さなオフィスでしたから、担当を超えてさまざまな仕事をしました。そうした何でもできる環境、日本のように細かく指示を出すのではなく、任せて結果を見るアメリカの仕事の仕方が性に合っていたんでしょう。ここに残りたいと強く思いました。一方で、夫とは長く別々に暮らしていましたから、結婚している意味がないということになり、離婚をすることに。

しかし駐在員ですから、必ずしも残れるわけではないですよね。でも事務所長になれば残るチャンスがあるんじゃないか、そう思って所長の仕事を学ぼうと、営業の全ての流れが見られるインサイドセールスに異動させてもらいました。「所長になりたい」なんて生意気でしたが、本当に人に恵まれ、周りが理解して応援してくれたのです。

 

失敗、挫折、帰国…
そして再びの米国駐在

ところが、その後仕事で失敗をしてしまい、三重県の伊賀事業所の工場に帰国になりました。人前では平気な顔をしていましたが、内面では「就職して結婚して、再就職して海外行って離婚して、失敗して帰国して…なんでこんな人生なんだろう」と悔しくてたまらず、塞ぎ込みがちに。でも、ある時「自分の知らなかった場所という意味では、伊賀勤務も海外の拠点で働くのと同じじゃないか」、そう思ったら気が楽になって(笑)。それに、工場で働く人は職人気質の人が多くて、工作機械の作り方やその哲学を聞くのがとても面白かったんです。

帰任から9カ月後、LA赴任の辞令をもらうのですが、振り返ればこの伊賀での時間は本当に大切なものでした。私は理系のバックグラウンドがないのですが、伊賀で工場やそこで働く人のことを学べたおかげで、「この機械なら誰」「この設計のことなら誰」と、誰に何について聞けばいいか知ることができたのです。そんな人脈は作りたいと思って作れるものではないですよね。

13年に「実績を出して来い」と送り出されて、LA赴任になりました。ここでは、副所長およびQCD Managerとして、当社の製品の窓口となり、事務所の運営を行っています。15年10月からは直販を始めましたので、今はその販路の確立と、売り上げアップが目標ですね。

その上で、次の世代の女性に道を拓いていくのも私の役割だと思っています。女性活用が言われていますが、それでもまだ結婚や出産で仕事を辞めていく女性は多い。それに「30過ぎたら女は再就職できない」なんて言われるでしょう?でも本当はいくつになっても、諦めずに前さえ向いてやっていけば再挑戦も修正もできる。今や才能ある若い女性がたくさんいるのだから、そうした女性の才能が認められ、輝く場を作れるよう、女性である自分の側からもその道を作っていけたらいいなと思っています。

伊賀事務所勤務時(中山さんは右から5人目)。「この帰国があったから、今の私があります」と中山さん

伊賀事務所勤務時(中山さんは右から5人目)。「この帰国があったから、今の私があります」と中山さん

=Company Info=

DMG MORI USA◎工作機械(マシニングセンタ、数値制御装置付旋盤およびその他の製品)の製造、販売を行うDMG森精機株式会社の海外子会社。1983年設立。米国本社はシカゴ。LAオフィスはサイプレスに事務所を構える。

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